2014年12月22日月曜日

ポーランドの旅 9 5日目③ アウシュヴィッツ強制収容所 ビルケナウ 14/10/25



バスでアウシュヴィッツ強制収容所へ。
13:10。

10分ほどで到着。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館

とうとう来たよ。
ここに来たくて、ポーランドに来たんだもの。

















ここ、トイレの入り口。
やはり1ズロチ。























アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館も、
入場はリュックは禁止で、
A4サイズのバッグまでOKです。

ここでも、バスを降りる時に案内をしてくれなくて、
一度、入場を待つ建物の中に入ってから、
「リュック、ダメだそうなので、バスに置いてきてください」
と言われました。

ここでも私ご立腹です。
分かっていることだろうに、最初から言っておくれよ、調べといておくれよと…。
初めてじゃないだろうに…。

何人かリュックの人がいたので、
その方達と急いで駐車場のバスを探し、
リュックを置いて戻りました。
バスが遠い場所に行っていなくて良かったよ。



入場を待っている時に、となりの列で待っていた、
イギリス人かアメリカ人の団体の、
高校生か大学生くらいの男の子の一人に
「日本人ですか?」
って話しかけられて、
「はい、そうですよ」って返したら、
「こんにちは!」って日本語で返されました。
その後、ニコニコするも無言。

なんだったんだろー。
日本人と話したかったのか、からかいたかったのかが不明。
でも、きっと話をしたかったんだと思うと思うことにする。


今回は、事前にHISから、
アウシュヴィッツ強制収容所のただ一人の日本語ガイドである、
中谷剛さんにガイドのお願いをしていたそうですが、
予定が合わずだったそうです。

最近は、日本人の観光客も徐々に増えてきていたり、
ここのガイドだけではなく、
講演会に呼ばれたり、日本に帰ったりしていたりして多忙のようですので、
中谷のガイドにあたったらラッキーなのでしょうね。

この時間帯では、私たちの他に日本人は、
JTBのツアーの方々を見かけました。

ガイドを付けなければ見学は出来ないので、
ガイドさんが付きます。
英語のガイドさんで、添乗員さんが訳してくれます。

ちなみに2012年の統計によると、
年間数143万の来訪者がいるのですが、
日本人は1万3000人ほど。
多くの先進国と比べても非常に少なく、
韓国人は3倍以上の4万6500人だそうです。

まぁ、聞いたりするところによると、
本当に理解してきているのかどうかは微妙みたいですけど。

ちなみに、こちらはまだ行くことが出来ていないのですが、
日本には、福島県白河市に「アウシュヴィッツ平和博物館」があります。
http://www.am-j.or.jp/index2.htm
最初は、栃木県塩谷町にあったそうで、
実家が近くなのに、当時は気がついていなくて残念です。



















ガイドレシーバーを付けていざ中へ。



















アウシュビッツの見取り図


それにしても、かなりの人。
土曜日だったってのもあるだろうけど、
こんなに訪れてくる人がいるのか。
















門のところは人だかり。





アウシュヴィッツ収容所① 14.10.25


Arbeit macht frei 「働けば自由になれる」





























15号棟から見学します。

































当時のガス室の模型。
















アウシュビッツ強制収容所では、
1940年〜1945年に110万から150万人が、
ガス殺、栄養失調、病気放置、拷問、奴隷労働などによって、
虐殺されたと考えられています。



ガス室で使われたチクロンBの空き缶。
凄まじい量。




























遺品の展示がたくさんあるのですが、
髪の毛が展示されているところは撮影禁止でした。
























子供だって容赦ない。
























始めの頃は、囚人服を着せていかにも犯罪者のように
写真を撮りましたが、
時間が達につれ、収容所に入ることもなく、
ガス室へ直行されることが多くなり、
写真を撮ることもせずに殺されていったそうです。






























1日分の食事。

















ドイツ軍人の薄笑い。























収容所につれてこられるとは知らず、
みんな一張羅。




















10号棟と11号棟の間に、
鉄柵をつけたレンガ塀があり、ここをくぐると「死の壁」。

ここは当時の建物のまま。

















左側の10号棟は人体実験病院で、
被験者に銃殺光景を見せないように、
窓には板で目隠しがしてあります。






























11号棟の「地下監房」は、現在は撮影禁止です。
今も当時のままに保存されています。

長崎に宣教活動で滞在したこともある、
コルベ神父が殺されたのも、この地下監獄です。

コルベ神父について






















7号棟は、当時の収容棟の内部が再現されています。


アウシュヴィッツ収容所③ 14.10.25






























集団絞首台。














アウシュヴィッツ収容所⑥14.10.25























あの向こうにちょっと見えるお屋敷に、
アウシュビッツ収容所所長ルドルフ・ヘスが家族と住んでいたそうです。
小さな娘もいて、こちらの世界は見せずに、知らずに、
庭であそんだり、平和に暮らしていたそうです。


















そして、すぐそばに、
ルドルフ・ヘスの死刑執行が行われた絞首台があります。

























そして…
「ガス室」。



















ここです。
中は撮影禁止です。






















見学も終わり、さて出口へ・・・
という時に、
ん、ん、ん???

中谷さんの後ろ姿。↓


















中谷さんが前から来たよ。

ガイドさんは顔見知りだったようで、
話しかけて去っていきました。

ガイドしてほしかったおぉぉぉ。







出口近くのお土産屋さんで、
日本語のガイドブックを購入。

いくらだったか忘れましたが、
ちょいと高めです。
添乗員さんは初めてこのガイドブックを見たらしく、
たぶん、最近出来た本ではないかとのことでした。

































バスで5分ほど移動しまして、
「ビルケナウ」へ。16:30くらい。
ガイドさんも一緒に移動してくれます。

ビルケナウの見取り図



















すでに日没間近で、夕日が物悲しい。


















この門をくぐったら、死しか待ち受けていない。














ビルケナウ③ 14.10.25



バラックの中は当時のまま残され、
見学が出来るようになっています。














当時はこんな感じ。





トイレは、朝と夕方の2回だけ。

食べ物もろくに食べていないから、
2回でも問題なかったのだと思うと悲しい。
















 ビルケナウ⑤14.10.25




どこまでも続く有刺鉄線。
もちろん当時は電流が流されていた。




















死の門の上は展望台(監視台)になっています。




















ビルケナウ⑦ 14.10.25




写真はあるけど、
ありがちな人形での再現的な展示は全くなくて、
物や建物、土地から感じ取る場所でした。

なにもないほど感じるものは多い。

ベトナムのホアロー収容所は、バリバリたくさんの人形がいたからなー。
これはこれで、かなりの恐怖心をあおられたけど。

広島のように、後から建てられた建物での展示ではなく、
(建物が残っていないから仕方がないけど)
当時の建物、その中に展示されていて、
そのままの状態でそこに残されている。

この違いって感じるものが違うなと。



ここでアウシュビッツのガイドさんと別れ、
クラクフに戻ります。17:30くらい。

まだまだ、見られていないエリアや、
ゆっくりと見たい場所もあったし、
今度は個人で1日かけて行きたいと思う。


【悲惨な戦争の現実】アウシュヴィッツ強制収容所の写真【グロなし】 - NAVER まとめ 


航空写真↓
ポーランド オシフィエンチム
オシフィエンチム


つづく〜〜〜


※追記
父はアウシュヴィッツ強制収容所の所長でした  それでも父を愛している!独女性衝撃の告白 (その1)(シュピッツナーゲル典子) - Y!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/norikospitznagel/20150817-00048550/
Powered By Blogger