2015年9月30日水曜日

黒衣の刺客

黒衣の刺客























中国映画の日本語字幕版ってのを始めてみた気がする。
中国語って、日本語訳にしても、
箇条書きみたいなしゃべり方に訳するのね。


町田康、『黒衣の刺客』トークイベントに登壇「言葉を持っていないものは美しい」 http://realsound.jp/movie/2015/09/post-190.html 
 唐代の中国を舞台に、数奇な運命に翻弄される女刺客を描いた『黒衣の刺客』。町田氏曰く、そのいちばんの魅力は、「台詞が少ないこと」であるという。「この“隱娘(インニャン)”という主人公の女性は、ほとんど言葉をしゃべらないですよね。僕は、そこがすごく良かったんです。普段僕らは、言葉をしゃべることによって、何か問題が解決されたような気になっているけど、本来自分のなかで受け入れるべきものもあると思う」。さらに町田氏は、「“ハローキティ”が何で人気あるか分かります? 口が無いからです(笑)。言葉を持っていないものは意地らしいというか美しいというか、そういう感じがするんですよね」と持説を展開しながら、それは“自然”についても同じであると、頓挫したままの映画『熊楠・KUMAGUSU』の撮影時の体験を引き合いに出しながら、映画『黒衣の刺客』が映し出す自然の風景の美しさについて言及した。「『熊楠』は、和歌山県の熊野、“那智の森”という山全体がご神体みたいなところで撮影していたんですけど、渓谷の風景などが、本作とすごく似ていました。湖があって、うしろに林があって、上空には雲が流れている。そうやって言葉がないところに、僕はすごく魅力を感じるんですよね」。現在発売中の「文學界」10月号(文藝春秋)で、侯孝賢監督と対談している町田氏。彼は、実際に会った監督の印象について、「映画監督って独善的な人が多いけど、全然そういう感じがしなかった(笑)」と語りながら、対談で監督が語った言葉を披露した。「監督は、自分がこの映画でいちばん重視したのは、その役を演じている人が、その役を“演じる”のではなく、本当にその人物になって、その感情とその人がビタッと一致する瞬間だったと言っていました」。妻夫木聡演じる青年が、遣唐使の船に乗って大陸に渡りながら、ある事情で戻れなくなった日本人であることなど、この映画には、いわゆる“説明台詞”が、ほとんど存在しない。よって、本作を難解と感じる人もいるかもしれないが、町田氏はだからこそ敢えて、「観客としてのイマジネーションで、その人間関係を自分の頭のなかで作り変えてみるのもありかなと思います」と語り、主人公・聶隱娘のもとに現れる“仮面の女刺客”の解釈について、「実は道士自身だったのでないか?」など持説を披露してみせた。さらに、主人公・隱娘を演じたスー・チーの「歩き方」を絶賛する町田氏は、「僕は、映画を観るときはいつも、その映画のなかを生きる人間が、僕の人生にどう関わってくるのかを考えるんです。(中略)隱娘のように、いっさいの人間関係から断ち切れた孤独な人間は、果たしてどうやってその孤独に耐えるのだろうか? そう考えたときに、この映画は自分にとって、すごい意味のある映画になりました」と話をまとめた。
この説明と、
黒衣の刺客 聶影娘 1
このスレタイ読んで、ようやく全体像がつかめた。

仮面の刺客の女誰?とか、
妻夫木何の役なの?
何故突然現れて結婚式とかしてるの?とかね。


のれんが風にゆられている感じとか、
空気感とか映像は確かに良かった。

良かったけど、「絶賛」って描かれっぷりは私も疑問だなー。

しかも、前情報極力入れないで映画を見る主義なので、
映画を見た時は知らなくて、後からパンフ見て確認したんだけど、
映画見ている時から、寺とか建物とか日本ぽいし、
子どもが玉けりしている庭とか、
どーー見ても、コケとか木々の感じが日本なんだよなー、
と思っていたシーンがすべて、日本での撮影だった。

「唐代の中国」の物語なのに、
ほぼ、重要なシーンは日本での撮影ってのどうかと思うし、
やっぱ中国ってそんなもんだよねとしか思えないです。

2015年9月29日火曜日

SHUNGA


春画展 SHUNGA






どうみても「もてないだろーなー」
って感じの30〜50代くらいの男性1人率多し。
若い男の子のグループも多い。

カップルも多し。
かなり大きな声でしゃべりながら見ていたり、
普段ぜーーーーーーったいに、浮世絵とか見に行ったりしないだろう、
って感じの方々も多し。


あと、私は説明をちゃんと読みながら、
見比べたりして鑑賞していたのですが、
列の流れがどう考えても説明読んでいないスピードの流れ方で、
なんだか、自分が説明文を読んで、
流れに乗れないのが悪い感じになってしまう…。

北斎の蛸のやつとか、もっとみんなゆっくり見てもいいんだよ!!
官能的な説明文丁寧に読もうぜ!!


マジ、なんだかなーって感じです…。

楽しみ方は人それぞれなので、まぁ、いいんですけど。





葛飾北斎『喜能会之故真通』(きのえのこまつ)『蛸と海女』(たことあま)


この画の所有者さんは浦上蒼穹堂と言う、
東洋古美術の専門美術商の代表の浦上満さん




























いつもは展覧会に行っても図録は絶対買わないんですが、
今回は買ってしまった・・・。

4000円。
現金払い。カード払いは1万円以上から。

でも、内容的には安い気はします。
しかも、縦に立ちます。それくらい分厚い。





見終わって出てきたら、列になっていて15分待ちくらいでした。
春画展のツイッターとかを見ても、
14:00~16:00くらいは混むようですね。







展示の内容と、雰囲気とを考えても、
永青文庫での開催で良かった。
元首相が理事長って所ももちろん、
図録にも説明があるけど、
「大名家と春画」って観点でも面白い。

きっと必然だったんだろう。



なんとなく面白かったので↓
英語ができない日本人が海外の博物館でやっていること 
http://sekaishinbun.net/2015/09/26/museo-rafael-larco-herrera/

日本人の性風俗を描いた「春画展」開催――「芸術」か「わいせつ」か、法的に分析|弁護士ドットコムニュース http://www.bengo4.com/c_1009/c_1406/n_3748/ 








永青文庫から歩いてすぐの
講談社野間記念館へ。























所蔵する、近代日本画のコレクションの中から、
企画をして展示替えをしているのですね。

伊東深水の作品が多かった印象が。
単純に目についただけかもしれませんが。



中庭に面して休憩室があって、ゆったり出来ます。
にゃんこ付き。

微妙な位置ににゃんこが。


















道の反対側の

この日は中で、何かのセレモニーの予行練習が行われていました。
韓国人の団体だったなー。





2015年9月25日金曜日

アウシュヴィッツ平和博物館

福島県にある
に行ってきました。

http://www.am-j.or.jp/index2.htm
最初は、栃木県塩谷町にあったそうで、
実家が近くなのに、当時は知りませんでした。
気がつかなくて悔しい限りです。


 
博物館の歩み
アウシュヴィッツ平和博物館は、今まで多くの市民・学生ボランティアによって支えられ、地域の方々とともに民主的な運営を行ってきました。それは現在でも変わりません。


1988年 ボランティアに支えられた10年間の全国巡回展

市民有志によるアウシュヴィッツ収容所跡を保存管理するポーランド国立オシフィエンチム博物館から借り受けた犠牲者の遺品と記録写真の全国巡回展がはじまりました。「心に刻むアウシュヴィッツ展」と名づけられた同巡回展は、各開催地の地元ボランティアに支えられ、10年間で110回、延べ90万人の入場者を数えました。

2000年4月 アウシュヴィッツ平和博物館の誕生

同巡回展の有志によって、国立オシフィエンチム博物館の協力のもと、アウシュヴィッツ関連資料の常設展示館が栃木県塩谷町に開館しました。

2003年4月 本格的な博物館建設のために

本格的施設の建設を考慮して、交通アクセスと自然環境に恵まれた現在地(福島県白河市白坂)に移転・再オープンしました。

2004年4月 健全・安定した運営を確立するために

平和博物館運営組織を福島県認可・認証の下、NPO法人化。新たな発展に向けて進んでいきます。







と言うわけで、普段は都内に住んでいるし、
実家の自分用の車は処分してしまったので、
なかなかタイミングがなかったのだけど、
やっとこさ行ってきたのです。

「ザ•のどか」です。

お昼くらいに着いたのですが、
2人ほどお客さんがいました。
そんなに沢山の方が訪れるような施設ではないのですね…。

↓駐車場。





















奥に見えるのが展示場になっている、
茨城県玉里村から移築した江戸中期の古民家。



中は撮影禁止だったので、外側だけ。

古民家ですが、中はリフォームされていて、
板張りになっていて綺麗。
ところどころに土壁?が見られるので、
それで、古いのが分かる感じで、
二階だてだし、江戸時代の建物とは思えないくらいしっかりしている。






















入場料は500円。
入ると始めに、奥のレクチャールームで、
映像資料を流してくれます。

映像を含めて、
めっちゃ丁寧に見ても1時間はかかりません。




アウシュヴィッツ収容所跡を保存管理する、
ポーランド国立オシフィエンチム博物館から、
犠牲者の遺品と記録写真(「本物」、本物って表現が正しいとは思わないけど)
を借り受けての展示なのに、もう少しなんとかならないかなと…。

ボランティアで成り立っている施設だと言うのは分かるんだけど、
ホコリだらけだったり、パネルが曲がっていたり…。
もう少し整理したり、片付けたりすれば、
もっと見栄えが良くなるだろうに。

本当に残念に思った。
なんとかならないかなー。なんとかできないかなー。
ギリギリの運営なのかなー。

でも、展示自体は、丁寧に説明されているし、
多くの人に見てもらいたい、知ってもらいたい物でした。



別棟のアンネフランクギャラリー。

















庭には、ビルケナウに模したであろう、貨物列車が。
この中に、子どもたちの画が飾られています。

でも、この貨物列車、
車体ナンバーが日本語で書かれたままで、
せっかくなら、その文字消しておけばいいのに…と、
ここでもちょっと残念。






































敷地内に、「原発災害情報センター」って言うのがありまして、
福島原発や、チェルノブイリ関係の展示がされています。

展示がされている…と言っても、
やっぱりこっちも色々と残念な感じで、
せっかくの説明パネルが、物で見えなかったり、
物が散らかっていたり。

チェルノブイリの立ち入り禁止区域内に住んでいた
ウクライナの方々の生活を取材したもののVTRが流れていたので、
30分くらい見てきました。
チェルノブイリ原発の内部の映像もあった。
















「アベ政治は許さない」



2015年9月21日月曜日

蔵王権現

蔵王権現と修験の秘宝

法螺貝(ほらがい)を吹き、錫杖(しゃくじょう)を突く「山伏(やまぶし)」の姿にイメージされる修験道(しゅげんどう)は、山中での厳しい修行によって悟りを得ることを基本とし、日本古来の山岳信仰に神道、仏教、道教、陰陽道(おんみょうどう)などが習合(しゅうごう)した日本独自の宗教です。主尊蔵王権現像(ざおうごんげんぞう)は、髪を逆立て、三眼、左右の牙を出す怒の相で、右足を高く蹴り上げて左足で立つ、青黒色の猛々しい姿をしています。
この特別展は、修験道の根本聖地である金峯山寺ほかの、奈良県吉野金峯山(きんぷせん)修験に関わる仏像、曼荼羅図(まんだらず)と、経筒、経箱、鏡像、懸仏など経塚(きょうづか)遺品、そして早くから地方の山岳宗教の地で修験道の拠点となり、崖上に建てられた平安時代の「投入堂(なげいれどう)」で知られる鳥取県三徳山三佛寺(みとくさんさんぶつじ)の多数の蔵王権現像を一堂に展示する、まさに「天空の神と仏の世界」が眺望できる画期的な展覧会です。




















ちょうど、この講座が始まるところで、
当日での参加可能とのことで、聞いてきました。

【三徳山・三朝温泉の真実】連続講座

六根清浄と六感治癒の地【三徳山・三朝温泉の真実】
連続講座開催 大阪会場:大阪歴史博物館/東京会場:三井記念美術館
第2回 ●9月18日(金)大阪会場  ●9月19日(土)東京会場
第3回 ●10月24日(土)大阪会場




















蔵王権現の像が「これでもかー」っと、
色々と展示されているのですが、
一番よかったのは、
如意輪寺が所蔵する重要文化財の 《蔵王権現像》 でした。

バランスといい、衣の繊細さといい、
見とれてしまいますね。

源慶作 鎌倉時代・嘉禄2年(1226) 如意輪寺




















あとは、きっと山伏が修行として彫っていたんじゃないと推測される感じで、
バランス悪すぎ!とか、
そんな物もありました。

重要文化財になっている、
木造の蔵王権現像3体の内、1体は痛みが激しくて移動できなくて、
展示されていないとのこと。

投入堂に安置されていた「狛犬」が3体展示されているのですが、
対になっている方は、
連続講座でお話をしてくれた、
倉吉文化財協会の眞田さんが、
協会に入った新人の頃、同僚と主に背負って下ろしたそうです。
めっちゃ重くて大変だったそうですよ。


5−1櫻本坊の「釈迦如来坐像(重要文化財・白鳳時代)」は、
目録にはこの名前になっていて、櫻本坊のHPにもこのように記載されているけど、
「銅造鍍金釈迦如来椅像」とも呼ばれるようですね。
椅子に座っている白鳳仏でした。

4−8金峰寺の「阿難立像 迦葉立像」は、
乳輪と乳首がきちんと彫られていて、
めずらしーなーと。 




それにしても「投入堂」ってすげーですね。

2015年9月16日水曜日

ボルドー展

ボルドー展 ―美と陶酔の都へ―


単純に、絵画の展覧会なのかと思ったら、
「ボルドー」という都市の歴史の展示だったのですね。




ドラクロワの《ライオン狩り》がこの展示会のメインの作品で、
これが一番の目玉です。




ウジェーヌ・ドラクロワ
《ライオン狩り》

1854-55年
油彩、カンヴァス 175×360 cm
ボルドー美術館
©Musée des Beaux-Arts - Mairie de Bordeaux. Cliché L. Gauthier.
ドラクロワは父親がジロンド県知事を務めた関係でボルドーで幼年期を過ごし、街には今も父と兄の墓が残ります。この作品は1855年のパリ万博のために政府の注文で制作され、展覧会終了後、ボルドー美術館へ送られました。不運にも1870年の美術館の火災で大きな損傷を受け、画面の一部を失いましたが、その迫力は決して損なわれていません。人と猛獣の戦いを通じ、ほとばしる自然の生命力に対する畏怖や憧れが画家独自の雄渾な筆遣いで描き出された本作品は、ドラクロワの画業の集大成にふさわしい傑作です。


オディロン・ルドン
《ライオン狩り》(ドラクロワ作品に基づく模写)


















オディロン・ルドン
《ライオン狩り》(ドラクロワ作品に基づく模写)

1860-70年
油彩、カンヴァス 46×55.6cm
オルセー美術館(ボルドー美術館へ寄託)
©Musée des Beaux-Arts - Mairie de Bordeaux. Cliché F. Deval.
パリとボルドーを行き来していた画学生時代のルドンがボルドー美術館のドラクロワの《ライオン狩り》を模写した作品です。火災に遭う前のドラクロワ作品の完全な構図を伝える貴重な記録であるとともに、ふたりの関係を示す興味深い一枚でもあります。

ルドン! グッジョブ!!!!!

その一言のみ!



















ピエール・ナルシス・ゲランの《フェードルとイポリット》

目をひく絵だと思ったら、ドラクロアの師匠でした。

知らずに見ていたんだけど、
この作品も目玉だったのですね。そりゃそーだ。

この3作品くらいでした。目を引いたのは。

ワイン好きさんがたには、
もっと違った楽しみ方が出来たんだろうなーと。















この日は、常設展が無料の日でした。
何点か、新しく所蔵された作品も展示されていました。


没後50年 ル・コルビュジエ ― 女性と海 大成建設コレクションより

ル・コルビュジエと言えば、この国立西洋美術館を設計した方ですが、
普通に絵も書いていたんですね。
知らなかったです。

コンドルもそうだけど、
建築で有名だけど絵もちゃんと描けるというか、
画の才能もなくては、設計も出来ないってことなんでしょうかね。

好きな感じの画ではなかったけども。

2015年9月14日月曜日

生命大躍進

生命大躍進-脊椎動物のたどった道-

かなり混んでいてびっくりした。

こんなに人気だったのか・・・。

もちろん小学生くらいの子どもを連れた家族が多かったのだけど、
若いカップルも多くって「なんで?」って感じでした。




































ネアンデルタール人。



























科博お得意の巨大ぬいぐるみ。
30万円!!























時間があったので、先日改装オープンした常設を見てきた。





















絶滅したニホンオカミ。

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